早朝5時に起きてご飯食べて家を出発。
以上、帰省終了。
9月絶対また帰ろう。

彼女は都合で別の旅館に泊まっていたので、迎えに行ってから朝飯食って出発でした。
親にインター近くのジャパレンまで送ってもらい、そこでレンタカーを調達。
4日間世話になるのはマーチ(シルバー)になりました。
しかし貸し出しに手間取ったな…。
ジャパレンであんなに時間かかったのは初めてだわ。

まず向かったのは飯田市上村のしらびそ高原。
2人して山は好きなので旅行に山は必然。
2時間かけて山道を登っていき、9時頃ここ↓に到着。

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ここは「ハイランドしらびそ」。
この高原に唯一ある観光施設で、主に登山者向けに宿泊施設も備えているようです。
天候は生憎の曇り。
一応晴れの予報でしたが、やはり山は晴れてくるのが遅いようです。
近場にあったけど行ったことがなかったので、どんな景色か一度見てみたかっただけに残念…。

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ここにあったのが、その後訪れる予定の遠山森林鉄道の機関車&客車&貨車セット+この沿革説明標。
天気が優れずとも廃線は楽しめるのでわくわくです。

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というかね、覚悟してたけどここ寒いわ。
半袖半ジーパンで来るところじゃないわwww
眺めは上の写真の通り。
完全に雲の中。

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そこから山道を40分ほど下って辿り着いたのがここ、「日本のチロル」下栗の里。
ビューポイントまでは徒歩で山を登ってしばらくかかるということで、
有名なアングルの写真は撮れてません。
この天気だし、時間も押してたし。

つーわけでそこから下栗のクソ狭い道を「対向車来ねぇよな…来るなよ!」とガクブルしながら下り、
遠山川の上流奥地にある北又渡の発電所付近まで10kmほど林道を進んでいきました。
この北又渡が今回の廃線探索の起点で、ここから下流の梨元方面へ林鉄(森林鉄道のこと)跡を探索します。

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ここで国土地理院ウォッちずより引用加工した地図を。
これが今回の探索範囲です。
赤い線は大まかな路盤跡を示しています。
ウォッちずでこの範囲をご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

なお、下流の梨元から北又渡までの路盤跡は、廃止後に林道に転用された経緯があります。
しかし当時から災害との闘いであった林鉄の路盤に林道を整備したところで
それが林鉄の二の舞になることは避けられるわけもなく、
大規模な崩落が起きて以来復旧されることもなく、廃道同然の状態で今日に至っているというわけです。
ネット上の情報に拠れば、一応徒歩で高巻き(*)覚悟であれば通り抜けは可能であるようです。
(*) 高巻き… 崩落地点などを迂回するため、予定の道よりも上の斜面を逆U字型に通ること

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北又渡に行く道はこんな悪路。
すげぇ、法面がこんな風に壊れてるの初めて見た…。
その途中、最後のヘアピンで早速林鉄の遺構を発見しました!

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橋についてはそれほど知識がないので語ることが出来ません…。
またこれが林鉄の遺構であるという確証もないですが、現地ではそのように感じました。
恐らく、林鉄廃止→アスファルト化で道路に→狭すぎて新規架設、という流れかな?
また後ろにシェッドのような見えますが、あまりの崩落レベルで近づけず、素性を確認出来ませんでした。
気になる…。

ここを過ぎて北又渡の橋を渡り、右折して林鉄跡へ。
少し行ったところでミニバンが道を塞いでいたので進めなくなり、仕方なくそこから先を徒歩で移動することに。
するとちょっと先でおっさん発見。
話してみるとこの人がその持ち主で、
雨による崩落で先に進めなくなっていたので土砂を撤去しているところみたいでした。

このおっさん、もの凄い情熱の持ち主でしたwww
静岡の磐田から釣りのためにわざわざここまで来て、
しかも山の持ち主に許可を取ってまでして河原にテントを張り、寝泊まりして釣りしてるんだとか…。

さてここからが隧道祭り!
地形図参照です。
4本の素堀隧道を通ったのですが、どうやら上流側から5号~2号隧道という名前のようです。
1号隧道はどこにあるんだろうな…?

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いきなりですが5号隧道です。
素堀の廃隧道とか初めてでマジ興奮するわ…。
ちなみに左の看板には隧道の情報がいろいろ書いてありました。
どうやら最近になってここを観光資源にしようという動きが少なからずある模様。
右に写っているのはおっさん(のケツ)。
おっさんにはその先の隧道の情報など聞きましたが、
その後おっさんは整備を終えてミニバンでブロロ…と隧道を普通に通って行きましたwwwww

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こちらがおっさんも通った隧道内部。
ごっつごつですが、車が一台通るくらいの余裕はあるみたいです。
(*´Д`)ハァハァ

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これが5号隧道の下流側坑門。
よくこんな岩に穴を開けようと思ったな…。
坑門向かって左側に何かの遺構がありました。
水量関係の何かみたいでしたが、一体何だったんだろう…。
そこに至る道の支柱の経年劣化が酷く、辿り着くことは叶いませんでした。

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5号隧道から先は崩壊しているので一度河原に降り、
おっさんの幕営地(ここも大雨で被害あり)を通り過ぎて路盤に復帰。
路盤の状況は大体こんな感じ。
おっさん曰く「ヒルが多いから塩持ってくといい」だそうですが、
それ以外はヤブが生い茂るでもなく非常に心地よい路盤。
崩壊の対策さえすれば、これは観光資源としてはいいのかもしれん。

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ここで上の地形図も再掲。
現在地は4号隧道の手前。
1枚目の写真は、先ほど通ってきた林道の赤石大橋を見上げたところ。
この橋はどうやら山体の大規模な崩壊に伴う架け替えによるもののようで、平成10年製でした。
夏の緑に橋の赤が綺麗に映えていていい景色です。
2枚目が4号隧道の上流側坑門。
こちらは後補のものか、コンクリートで巻き立てられていました。

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内部もほぼコンクリートの巻き立てがありましたが、一部素堀部分が露出していました。
巻き立て部分の断面からして、どうも素堀面が崩壊して巻き立て部分と共に崩落したようでした。
巻き立ては結構厚かったんだけどなぁ。
2枚目は下流側坑口の写真。
見事な馬蹄型で、まさに鉄道の廃隧道です。
出たところには古い型の車が廃車になって放置されていました。
路盤の崩落状況からして、崩落で出られなくなって放置された可能性もあるかな。

3号隧道までも少し歩きました。
途中に小規模な崩落面がありましたが、小さく高巻きして割と簡単に乗り越えられました。

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その目と鼻の先にあったのが3号隧道。
坑口に結構いろいろ堆積してました。

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林道時代につけられたらしいこの看板。
そう、地形図を見れば分かるとおり、この隧道の先には橋、それも沈下橋が待っているのです…!
これ楽しみだったんだー!
やべぇ興奮する(*´Д`)ハァハァ
(この際看板に誤字があることは華麗にスルーしておこう)
ちなみに沈下橋とは、「河川が増水したとき水没することを想定して作られた橋」のことです(広辞苑より引用)。

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入り口は素堀でしたが、後半はまた巻き立てられていました。
なので坑門も出口側はコンクリート製。

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そしてその先の沈下橋を渡ったところが上の写真!
うわぁ、これマジで林道だったの?
俺こんなところ車で渡れとか言われたらちょっと泣くわ。
奥の方にはやはり沈下橋だけあって巨大な流木が乗っかっていました。

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そして最終目標地点、2号隧道へ。
路盤状況は良好で、定期的に誰かが通っているような踏み跡がしっかり付いていました。

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ついにやって来ました2号隧道!
ここが梨元~北又渡の間では最も長い隧道で、長さは122m。
坑口付近は巻き立てられていましたが、内部はかなり素堀でした。

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こちら下流側坑門の上には「警笛鳴らせ」の標識。
カーブしてるので全然不思議じゃないけども、マジで本当に林道だったんですね…。

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そしてこちら側の坑口のすぐ先で路盤崩落。
しかし高巻きしやすいようにトラロープが張ってありました。
有志の方か誰かが張ったのかな?
あぁ、この左の練石積みを撮って来たかったなぁ…。
ちょっと後悔。

ここまで進んで引き返しました。
だいたい1kmちょっとかな?
帰りはついに彼女が山ヒルに遭遇し大わらわwwwww
塩持ってきてないので、俺がはたいて落としました…。
それからはもう、「山ヒルマジでいるわ」って感じで警戒しながら急いで帰りました。
結局車まで戻ったところで俺もヒルに登られ、急いで弾き飛ばして踏みつぶしたのでした…。
廃線はすごく良かったけど、ヒルだけはしっかり対策していかないとだわ。

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帰ることになっておっさんにも別れを言って帰路に。
さっき下から見えた赤石大橋で止まって見学。
まぁ、すごいところに架けたもんですわ。
2枚目の白い矢印が、先ほど下から見上げた時にいた場所。
すぐ右に張り出してる尾根を貫いてるのが4号隧道だったわけですね。

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途中にはまたビューポイントがあって、下栗の里もちゃんと見えました。
ホントすごいところな、遠山って。

そっから林道をひたすら下り、伝説の国道152号線に戻って南下。
有名な観音霊水を見に行って近くの道の駅で遅い昼食を取り、
418号線を下って飯田線の平岡駅近くの十方峡に到着。
地形図で見たいという人がいればこちらからどうぞ

まー、この十方峡というところも複雑な経緯があって、図にしないと大変説明しづらいのですが強行しますw
一部推測も入ってます。
説明を理解したい人は地形図を必ずご覧下さい。

まず国道は当初、天竜川に突き出た半島の峠を越えるルートでした。
当時の飯田線はこの半島を、現トンネルより西側にあるトンネルで抜けていました。
で、この区間をなんらかの理由で付け替えることになり、鉄道トンネルはやや東寄りに移動、
国道はこの鉄道旧トンネルを利用することになって、この部分は信号機付きの交互通行となったのです。
しかしもちろんこれでは不便。
そこでバイパスが建設されることになり、国道は新たに造られたそのバイパストンネルを通過。
鉄道旧トンネルは不要となり、完全に廃されたのでした。

実はこの旧十方峡トンネルは、なんと現役時代にチャリ旅行で通っているのです。
チャリで必死になって車に付いて走ったのを覚えていますw
それが今では…。

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この有様。
中でカーブしているので見通せませんが、空気の流れがあるので貫通しているのは確かです。
お疲れ、旧国道。

内部には入れなかったので、続いてその後ろにある吊り橋を渡り、付け替え前の飯田線旧線を辿ることに。

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まず出迎えてくれるのがこちらの隧道。
なんか坑口が小さい?
これは吊り橋が後付のもので、路盤よりも1m以上高いところにあるため、
そこに繋がるこの隧道も坂の途中で路面を高くされてしまったためらしいです。

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それをくぐって少し行くと更に廃隧道。
さっきまで林鉄の隧道ばっかりくぐってきたので、旅客列車の通れる規格の隧道が随分大きく感じられます。
保存状態はすこぶる良く、今にも電車が走ってきそうな感じでした。
(*´Д`)ハァハァ

その先で現役線との接続を確認してから引き返し、最後に国道の旧々道へ行ってみました。
ぎりぎり車1台通れるかどうかという道を上っていくと現われたのが…

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こちら旧々十方峡トンネル(仮)。
すごいところくり抜いて道通したなぁ…。
これを通って峠を越え、平岡の街へ。

そのちょっと南側にある廃線跡も探索する予定でしたが、下調べ不足で脳内位置情報が混乱。
さすがに何年も前のチャリ旅行の記憶に頼るのは無理があったわ。

つーわけで日も暮れかけてたので撤収。
山道ばっかりで運転に疲れたので交替してもらい、宿泊地伊那へ移動しました。
ホテルはアクセスも良くてサービスもしっかり、部屋も綺麗で満足でした。
夕飯は途中で買った出来合いのものを部屋で食べて済ませ、泥のような眠りについたのでした。